XOXO団のしたっぱ報告書(略:クソノシタ)

XOXO団のしたっぱこと、“フテキゴー”が仕事の合間に綴る宛のない報告書である。時には映画の感想、時には食レポ、また時には受験生の応援もする。かもしれない。

宣言通り映画観てきた!!

 

あああああああああああ!!!!!!!!また電車寝過ごした!!!!!!

 

どうも、フテキゴーです!

今回も息抜きくそくそ連合です!!!!

前回の息抜きくそくそ連合の最後に映画を観に行くと報告してたので、有言実行のために映画館にいってきました!!

 

 

 

 

昨日に懲りずに

 

電車でまたまた寝過ごして一駅下り遅れちゃった。(テヘペロ

 

でもおかげで下車に150円、再乗車に170円の合計320円と20分をドブに捨てちゃった!

 

ちっきしょおおおおおおおめえええええ!!!!!!!

 

でも電車が遅れてて、乗れなかったはずの乗り換え電車に乗れたしー、映画に間に合う時間に京都駅に到着できちゃったよ!

 

あと、京都駅ってあんまり来なれてないとヤバいっす。だって線多くない?嵯峨野線に乗りたいのにどこ?ってなる。

 

 

 

で京都駅ググってみたのよ!!

京é½é§æ§åå³

引用;JRおでかけネット

 

ヤバないですか?

京都駅って線が0番から34番まであるのに、1番と11番から29番まで存在しないんっすよ!?!?不吉な番号ってそんなにあったっけ?

 

ハリポタの「9と3/4番線」みたいな線が19本も有んの????って思いましたが、なんかそうではないみたい。修学旅行生は気を付けて!!目的の線はラプンツェルより見つけにくい!!!!西のJRには何かある!!?

 

 

 

 30年後

目的の嵯峨野線を見つけて電車に乗り、無事に映画上映の45分前に劇場に到着!!!!!!!

 

ホーホッホッ!!!敗北を知りたいわ!!(ニッコリ、ヨボヨボ)

 

 

 

 

 

 

映画はこれを観た!!

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flcl-anime.com

 

 

”走れ、出来るだけテキトーに。”

 

 

これに惹かれたの一言。昨日のブログで「散々ストレスは発散せぇ!!やないとお前もクリーピーおやじになるぞ!!!」みたいなこと熱く書いてたから、余計にこのコピーのある方へと吸い寄せられてチケットを買っちゃた。

 

 買った後もスマホで予告とか概要とか一切見ずに劇場内へ。。。映画をこんな風に選ぶことも初めて。(あと、「ノーモア映画泥棒の予告」は嫌いじゃないね。)

 

 

 

 

 

感想

 

面白かったよ!!!なんかね、「戦え!!17歳!!」「負けるな!若者よ!!」みたいなメッセージがあったと受け取りました!!! 

周りの大人にとやかく指図されてむしゃくしゃしてる、今日も新しい何かに触れることないまま一日が終わっていく、そんな学生たちにお勧めしたいです!!!

 

竹原ピストルさんの歌とこの映画のメッセージが似ているとは言わない、けれど、闘う人間の熱量を尊重する作品として共通してそうだなと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここから下は映画内容にネタバレがあるので、読みたくない方は注意してください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画内容

 

 

映画の内容は6部?で構成されていて、各部ごとにテーマがあって自分なりにテーマを見つけやすくなっていたんじゃないかなと思います。なんか読むのだるいけど、少しなら読むわっていう方は、太字だけ読んでください。

 

主人公は女子高校生。(以後、彼女)

彼女は毎日が昨日とそれほど変わらないと感じていて、自分でもよくわからない焦りが頭の片隅にある。

 彼女には友達もいて、家族もいて、アルバイトもしていて、ごく一般の生活を送っていた。

 

 

 

 

 

1部

「ああするべき、これが正しい」大人

 

テレビを診ると、お偉いさんと金持はそれらしい事を言う。自分たちの言うことがまるで真理かのようにベラベラ話している。

 

主人公たちは知らないうちにそんな大人の言葉を耳に入れている。毎日の日常の中で。

責任を負っての発言だろうと思われる大人に作られたもこんなぬるい日常が、ただ当たり前のように続くとどこかで思っている。

 

でも、そんな彼女の日常はある日突然、一時の危機に晒される。彼女は初めて日常を疑う。自分の周りにあった当たり前とは何なのか。明日も当たり前が来るのかどうか。また、大人の言う当たり前とは何なのか。

 

彼女が唯一わかっているのは、今日したことの中にも当たり前の中にも「好きだ!!」と思えるものが確かにあるということ。

一時の危機によって彼女が日々作り上げた物が一瞬で吹き飛んでしまった。追い込んでいる彼女に「毎日の中で何度も失敗するけどまたやり直せばいい」と言う声。

 

正しいと言われている事が出来なくても別にいい。そもそも正しいなんてないのかもしれない。当たり前を疑う事、自分の気持ちにもっと耳を傾けることが大切なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

2部

「大人らしい振る舞いをしましょう」大人

 

テレビで政治家が「大人は大人らしい振る舞いをとるべきです!」と言っていた。

彼女は大人らしい振る舞いが何かわからない。ピンとこない。

彼女には、とても美人で年上の彼氏がいる友人がいる。大人びて見える友人と自分を比べて、ますます「大人らしい」が分からなくなる。

彼女の周りには、辛いうどんでとんでもなく咽る大人もいれば、辛い物が平気な顔でパクパク食べる友達もいる。大人びて見える友人は、本当はつらい感情を押し殺して日々を過ごしている。

 

 

辛(カラ)いモノを平気で食べる。辛い感情を顔に出さないようにする。平気なフリが大人の振る舞い。

本当にそうなのか?と彼女は思う。

 

 

振る舞いに正しいも間違いもない。大人の振る舞いというよりは、自分がカッコいいと思う振る舞いでいい。身の丈に合わない振る舞いはカッコ悪く見える時だってある。自分の思うカッコいいに憧れて行動する方が、退屈しない。

 

子供でもデカくてカッコイイ、大人でもチッポケで退屈だ。

大人か子供かなんてどっちでもいいし、どうでもいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

3部 

「あなたのためにやってあげてる。みんな言ってる。」大人

 

テレビの大人は息をするように嘘をつく。退屈な大人たちは物わかりの良いふりをして、自分のやりたいことを探すことを止め、やたらと他人の世界に入ろうとする。自分の世界から離れてしまう。また彼女自身も自分のやりたいことがわからない。

 

しかし友人には夢があり、彼女はそれを応援したくなった。

彼女は友人に言われる。

「”人のため、あなたのため”って言うけど自分のためなのでは?やりたいことないからサポートしたいのが本心なのでは?そんなサポートなんか必要としてない」

 

主人公は少し考えた。そして諭された。別に夢なんて大層なモノは、あってもなくてもいい。何が好きかがわかれば十分。

主人公になろう。だってカッコいいしワクワクするじゃん。

 

主人公になると結果を求められる場面がある。結果は大切。だけどもっと気にすべきことがある。楽しかったかどうか。

結果は自分も含めてたくさんの人が決めて、評価する。

楽しかったかどうかは自分が決める。楽しめたのなら万々歳。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 4部

「愛は地球を救う」大人

 

テレビの大人はとんでもないテーマまでをも知った口でベラベラと語った。

彼女は素朴に思う。愛ってなんだろう。どうして大人は愛を語れるのだろう。親には聞けないので弟に聞いてみたが、あてにならなかった。

 

実は彼女には気になる異性がいた。友人から指摘されてから気になり始めた異性がいた。指摘されて以来、何故だかドキドキする。でも彼女にはやっぱりわからなかった。

 

「愛」ってなんだろう。

 

彼女は気になる異性と自分が両思いだということがわかった。しかし途端に以前のドキドキが嘘のように無くなった。学生の特有の、周囲にそそのかされて生まれた「この人が好きかも」という錯覚であった。

 

その感情は周りに作られたものか。自分で作ったものか。

他人から退屈を逃れるドキドキをもらっているだけなのか。

自分のドキドキの舵を人に任せていないか。

自分の感情、自分で決めていたのか。流されていたのではないだろうか。

 

 

愛が何かわかってる?わかってない。彼女はこれだけがわかった。おそらく、自分が愛をベラベラと語れる日は遠いと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5部

「ワタシに責任はない。責任者だれだっけ」大人

 

テレビの大人の発言に責任なんてない。責任を負わないまま生きるテキトーな人達を当てにしてたらとんでもない目に遭う。昨日までの発言を今日すべてひっくり返す。

 

大人がルールを知っていて、そのうえで日常があると彼女は思っていた。日常が何なのかわからない。自分は責任を嫌うテキトーな言葉に耳を傾けすぎていやしないか。

 

疑った日常は失くしてからわかり始める。いつも彼女の隣にいた幼い頃からの友人が、引っ越してしまうことがわかった。そして、彼女の友人は別れ際に、自分が彼女に対してしてきた遠慮を決壊したダムのように話す。

彼女は知る。一番の友人が自分に沢山の内緒を持っていたことを。

 

「わかったつもりなだけで何もわかってない、知らないことなんてたくさんある。」

 彼女は自分が大好きな日常というパズルのピースの一つでさえ、何一つわかっていないことを知る。

 

 

初めからわかっている人なんていない。失くしてから少しだけわかる気になれる。

知らないことだらけの日常のなかで「こうあるべき」と語る大人達は責任を負わない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 6部

「そんなこと私言いましたっけ。あなたに任せるわ。」大人

 

テレビの大人はピンチになると逃げる。責任を負うことが嫌いな大人は都合よく逃げる。日常を語り、愛を語り、責任を押し付けあって、最後はいなくなる。

 

じゃあ誰が日常を、当たり前を決める?

何が何を決める?

 

物分かりがいいフリして周りに気使ってはいないか。

毎日続く明日はいつ終わるかわからないと思うと、当たり前が愛おしいか。

変わりゆく日々の中にある日常は貴重か。

 

 

それなら、明日を自分で作ってよ。逃げる人に明日づくりを託すのは惜しい。

日常は自分で作っていこう。そこにルールはない。「ルールがある」という大人がいるだけだ。

 

 

当たり前のように来る当たり前の明日は、いつなくなるかわからない。当たり前がそんなに好きなら、周りを気にせずに”あなたの好きな日常”を自分で作ってよ。大人もテキトーにやってるんだから。自分がすることは自分でつくっていこう。

責任を負わない言葉なんかあてにせず、自分で背負って走ろう。

 

自分の“好き”を頼りに、ワクワクする方へ突っ走る主人公になってもいい。周りの大人に変な気を使わなくていい。だって、思ってるよりシッカリしてなくてテキトーなんだから。しっかり背負って、好きに向かって突っ走る主人公はいつの時代もカッコいい。

 

 

 

 

 

 

”走れ、出来るだけテキトーに。”

 

 

 

 

映画のキャッチコピーはこれを言ってたのかもしれない。まぁ、どう受け取るかも自分で決めよッ!!

 

 

 

 

お時間ありがとうございましたッ!!

 

 

さーて、くそ(くそくそ更新)したし寝よ!!!!!!!!!!(もう朝や。。。)